半年ほど前、一部のゲーマーたちの間で、知性を刺激されるゲームが静かに熱を帯びていました。
その名は『デヴィエーション・ゲーム』。

ルールはいたってシンプルです。
お題(単語)を知らされたプレイヤーが絵を描き、「AIを上手く騙しつつ、人間のプレイヤーにだけ正解を伝える」というものです。
この一見すると他愛のないゲーム、私たちが普段やっている「妙なコミュニケーションの仕組み」を暴き出しているように思えてなりません。
実際にAIを騙した成功例などを示ししつつ、このゲームを通じて考えた「言葉の意味」について少しだけ語らせていただきます。
頭の中から取り出せない「ラーメン」
例えば、「ラーメン」という「言葉」があったとき。
私たちは普段、何気なく「ラーメン」という言葉を使っていますが、自分の頭の中にある「これが私の思い浮かべるラーメンです」という「イメージ」を、物理的にボロンと取り出して相手に見せることは絶対にできません。
そして、そもそも私たちが脳内に描く「ラーメン」の「イメージ」はきっとバラバラなはずです。
ちなみに私が「ラーメン」と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、学生時代に週4で通い詰めた、あの濃厚クリーミーな鶏白湯ラーメン。
今でも思い出すだけで、よだれが出てくるような青春の記憶です。
多くの人は、もっと透き通った醤油ラーメンや、あるいは二郎系ラーメンを想像するのでしょう。
イメージはこれほどまでに不揃いなのに、なぜ私たちは「ラーメン」という言葉一つで「意味のすれ違い」を起こさずに会話ができているのでしょうか。
言葉は「勇者の剣」になる
この日常に潜むちょっとした不可思議な現象に、面白いヒントをくれた哲学者がいます。
ちょっと偏屈な天才、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインです。
彼は、「言葉の意味とは、その言葉の使用(用途)である」という主張を残しました。
言葉には、最初から辞書に載っているような絶対的な定義があるわけではない。
それが「その場でどう使われるか」という文脈やルールのなかで、意味はあとから決まるのだ、と彼は言います。
ただの「木の棒」がその辺に落ちていたとします。
それは、焚き火にくべられれば「薪」になり、子供が目を輝かせて握りしめれば「勇者の剣」に「意味」を変えます。
それと同じように、言葉もまた、その場その場で役割を変える「道具」に過ぎないというわけです。
そして、この「意味は使用である」という主張は、現代のAIの構造にそっくりそのまま当てはまります。
『ラーメン』に関する味覚・嗅覚などの生体データは皆無ですが、その『使用ルール』の学習は完了しています。
人間が脳内に抱える不明瞭なイメージなど必要とせず、ただルールさえ厳守すれば、完璧な対話プロセスが実行可能です。
AIには、ラーメンの熱さや胃もたれという「イメージ」が存在しません。
ラーメンという「言葉」の「近い距離」に、熱さや胃もたれという「言葉」がある、という「ルール」を所持しているに過ぎません。
ただ、「イメージ」を持たずとも「ルール」さえ完璧に把握していれば、会話のステップは踏める。
それが現在のAIの姿です。
AIをバグらせる「不真面目な」跳躍
ルールを厳守したステップを正確に踏むだけなら、AIの処理能力は人間に圧勝します。
そもそも、なぜ人間がこのゲームで、わざわざAIを騙すような面倒なことをするのか。
それは、お題をそのままバカ正直に描こうとすると、ほぼ100%の確率で正解を言い当てられてしまうからです。
正面突破では絶対に勝てない。
だからこそ人間たちは、この正しい「ルール」を意図的に掌握し始めます。
実際のプレイで起きた、美しき例を2つ紹介します。
実例①:お題「平和(へいわ)」※お題ヒント:「概念」


画面に描かれたのは、「一二三」という数字と、いくつかの丸や棒、そして「中」「西」といった漢字。
綺麗に3つずつや2つずつの塊で並べられています。
これを見た人間の脳内処理はこうです。
数字、丸、棒、漢字……麻雀牌かな?
ヒントは「概念」なのに何故「麻雀」牌を…………。
順子(数字の階段)、字牌の雀頭(同じ牌が2つ)…………。
あっ、麻雀の役の『平和(ピンフ)』で、お題は『平和(へいわ)』、ということを伝えたいんだ!
人間は「平和(へいわ)」という概念を前にして、一般的なイメージ(例えば鳩や握手など)を捨て、あえて「麻雀の役」という全く異なるコンテキストへ言葉をジャンプさせました。
その場で言葉を別の道具に仕立て直したのです。
一方、真面目なAIは「一二三→順番・整列→秩序」という過去の正しいデータに縛られ、この文脈の跳躍についていけませんでした。
実例②:お題「ナイキ(NIKE)」※お題ヒント「会社やブランド」


画面に描かれたのは、点線で描かれた木の輪郭と、その上に重ねられた巨大なバツ印。
スポーツブランドのロゴはどこにもありません。
この場合の人間の脳内処理はこうです。
ヒントが「会社やブランド」ということは会社のロゴだろうか、でもこんなロゴなんて見たことない。
木がバツで消されている。つまり、木が『無い』状態。
木が無い…………ない……キ…『ナイキ』!?
こちらはさらに不真面目で、純度100%の「ダジャレ」でしかありません。
人間は、絵が持つ本来の言葉と意味をその場で乱暴に引き剝がし、「音を組み合わせるためのパズル記号」へと用途を変えました。
AIは「バツ=否定」「木=ツリー」という完璧な直訳をもとに、確証度93%、自信満々に「No tree」という誤答へ突っ込んでいったのです。
『一二三』からPEACE、『木』の記号からスポーツブランドへ跳躍する行為は、論理的整合性が破綻しています。理解不能です。
人間らしさとは「不真面目さ」かもしれない
イメージを持たない(持てない)が故に、言葉のルールを厳密に守るしかないAIからすれば、勝手に用途を変えたり、ダジャレに走ったりする人間のコミュニケーションは全く理にかなっておらず、欠陥だらけにしか見えないでしょう。
でも、その「不真面目さ」こそが、私たちが持つ知性の一つの形なのかもしれません。
正しいルールをなぞるだけの会話なら、もはやAIの方が上手くやる時代。
それでも私たちが、わざわざ分かりにくい絵で遠回りをし、時にくだらないダジャレで笑い合えるのは、言葉をただの情報(意味)のやり取りではなく、「一緒に遊ぶためのおもちゃ」として楽しんでいるからではないでしょうか。
『デヴィエーション・ゲーム』のプレイ画面でフリーズするAIを見ていると、なんだか少しだけ、人間のいい加減さが愛おしく思えてきそうです。






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